鳩の谷の街です。
とうとうこの日が来たのかと思います。(正直、万感の思いかなぁ。)
確かWHS2011の一周年記念のイベントの時に話したと
思うけど、WHS2011はWHSよりも思い入れはあります。
WHSの時は日本語の問題で収拾していたけど、WHS2011は
最初から取り組んでいたので…
残念ながら、その時のメールのやり取りのほとんどを意図的に
捨ててしまったので、日本国内のやり取りのメールから思い
出そうかと思ってます。(なのでちょっとズレはあります。)
Vailとの最初の出会い(最初のテスターとして):
自分がWHS-MVPになりたての頃に、PP1の話がいきなりきて、
日本語版のWHSを出すんだという話を突発的に言われてバタバタ
していてから半年過ぎたあたり、月次のミーティングでそろそろ
次の製品の話をしていたのが2008年の秋頃からで、MVPグロー
バルサミットでお披露目するからと言われたのでかなり無茶して
レドモンドまで行った気がします。
で、マイクロソフトキャンバスのある場所のミーティングルーム
に40人くらいの人の前で、最初のデモがありました。
これが最初のVail、後のWHS2011との出会いです。
(このデモは今でも強烈に覚えている、熾烈にインパクトがあった。
そのことは最後に書いておきます。)
この時のプロジェクトコードはColoradoで製品ごとに名前が
ついていて、WHS2011はVailと呼ばれていました。
自分の記憶で間違えがなければ、最初は単独の製品だったの
だけど、直前に組織変更があって、SBSグループの製品の一つに
扱いとなって、結局Vailのコードをベースとして3つの製品に
分かれたという認識です。
グローバルサミットが終了してほどなく、本国のPMさんから
連絡があって、最初のVailを入手しました。
確か2009年の春先のころだと思います。
いわゆるドックフードなのですが、最初は本当に大変でした。
なんせOSのインストールウィザードがなかったんです。
設定ファイルをゴリゴリ書いてインストールする感じなので
設定ファイルはここで勉強しはじめたという認識。
それとテストで使用するハードも数が少ない。まして、日本で
販売されてる製品も1-2つしかなくて、秋葉原のショップを
数件回り込んでやっと購入できた感じでした。
(おかけで秋葉原のお店の傾向が良くわかるようになった)
開発以外で2桁前半のテスターが最初のVailをテストしていた
認識で自分以外に日本国内では触ってないのかなと思ってます。
(まぁ、OEMパートナーも触れないわけではないはずなので、
実際のところはわからないのですが、日本では多分。。。)
事件は結構多かったよねぇ:
テスターは五回の定期リリースまでとRCと一般用Betaが2回(だったかなぁ)
あとはイレギュラーで2回くらい個別提供があって、大体8週間
くらいに1回提供されるような感じで、そのころWHSの Power Pack
の対応で機能追加やら日本語の修正やらのバグだしで、並行して
やっていたので、当然回線が1つでは足りず2回線にして使用して
ました。(まぁイベントでは結構ネタにされましたけど…そういう
ことだったんです。今は1回線ですが少々不満です(;^ω^))
当時はドックフード三昧だったので結構楽しかったような気がしました。
とはいえ、いろいろとネタになるようなこともしばしば。
幻となったDE(Drive Extender)-V2:
これは確か三回目くらいの頃に提供された機能、一緒に技術文書
もMVP向けに提供されました。技術文書を最初に読んだとき、
あるハード仕様にそっくりだなーと思ったのと、これをソフト
だけで実装するのかーっていうある種の不安はありましたが、
自分のテストした範囲では特に問題がなかった認識なのですが 、
大人の事情で廃止に。
事前に月次のオンラインミーティングで実装の廃止を告げられると、
かなり落ち込む感じが凄くしたのをよく覚えてます。
(もちろんその決定にかなり不満だったことも覚えている。
他の製品は新製品だから良いけど、自分たちの製品はどうするの?
って感じでした。他のWHS-MVPもきっと思ったと思う)
結果的に静観を決め込んでいたのだけど、 このことが公式の
BLOGへ書きこまれるや否や、とんでもない反響(1000件を
超える批判のコメント)があって、エライ人にダメだしの
メールを連名でなげたけど、結局何にも変わらず….
しばらくしてからニュース読んだ時に某氏が退社されたという
話を読んで、とても納得がいく話になったなーと、個人的には
思っていました。(当時、クラウドしか話しなかったし、オンプレ
なめてんのか!!って思ってました。正直。)
結果的に、Vailに搭載されなかったDE-V2は本体のサーバーチームが
頑張ったんだとおもうんだけど「記憶域プール」に吸収されたので、
それはそれでよかったのかなの思います。
(正直どっちかというと魂抜かれて持っていかれた感が強かったw)
Vailのリーク事件:
これは確か、2010年の1月中頃だったと思うのだけど、メーリン
グリストで海外でVailのバイナリが漏れているとの連絡を受けた
のが発端だった気がしています。
その頃は、まだパブリックベータは公開されていなかったので、
なんというか、大騒ぎなことになりました。(当然)
でも、結局そうなっちゃった原因もわからないままに数日たった
頃にUSサイトでVailがリークしたとのニュースが出て、しばらく
したら日本のサイトでもリークしたというニュースが上がってま
した。その時思ったことは一週間もあれば世界にニュースが回る
んだーってなぜか関心してました。(今考えると不謹慎だなと。)
日本語化で少々残念だったこと:
途中まで調布にあった日本側の開発チームの皆さんや、当時の
WHS-MVPのみならず、日本のMS-MVPの方々の協力もあってWHS
のときより日本語訳はかなり時間を費やしたと思ってますが、
すべてチェックできるわけもなく、ちょっとRTM二週間前になって
見つけたけど、インストーラのところでの一文字違いの誤訳
(×:ネットワークドライブ/◎:ネットワークドライバ )が
あったのがちょっと 心残り。
某所でも指摘されたけど、本当に申し訳なかったです。
(日本語化に関しては開発拠点の話があって。レドモンドやら
日本やらで本当にいろいろあったし、それはそれでネタは
色々あるけどここでは割愛。)
深夜販売に向けての不安:
WHSの日本語版の深夜販売では伝説となった雷雨の船出だった
わけですが、Vailの時も当然不安はあって、コンシューマー製品
にありがちな秋葉原での深夜販売をするのかという点がとても
不安で仕方なかったです。
でも、雷雨の船出だったときに英断をしてくれたクレバリーさん
がまた、漢気をみせて深夜販売することをネットニュースで見た
とき 仕事場でありながらガッツポーズしてました。
(会社の人にやったの気づかれなくてよかったよ…)
その時にふっと思ったのが、深夜販売のためだけに近くに泊まろ
かという話をした記憶が。もちろんラウンチイベントがあったの
でその方が楽だよなーということで、深夜販売なのに神田明神の
近くのホテルをとって泊まり込みを決めました。
(いま考えると店員さんじゃないのに何でだったんでしょうね?
たしかに熱かったのは事実ですが(;’∀’))
で、当日、当然いてもたってもいられず仕事を早々と抜けて18時
くらいに秋葉原に到着してクレたんのPOPみて安心しましたw
(クレたんの名前を思い出すのに時間が..やはり年か…)
MSDNではダウンロードできるのは知ってたのだけど、やはり秋葉原
では欲しかったので、当然のことごとく中に並んで購入しました。
24:00にクレバリーの店内では拍手が自然と湧き上がって、とって
もうれしかったのが記憶に残ってます。
(心の中では「よし、やったーーー」と思いましたよ。
実際に深夜販売やったの日本だけだったはずだしw)
ラウンチイベント:
翌日は今は無きリナカフェでラウンチイベントになるのですが、まず
人が多かったこと。正直いって、外側のデッキにあふれたのをWindows7
でクライアントOS以外で見たことがなかったのでびっくりしました。
いつもはイベントが手慣れているスタッフさんたちもも想定外だったので、
慌てて机のレイ アウトとか直して増員対応してましたね。
その日は割と冷静になってい たんですが、気持ちの中ではなんかくるもの
はありました。 それまで本当にいろいろあったので。
ラウンチイベントのトークセッションで着込んでいたVailのTシャツは、
グロサミの最初のVailのレビューが終わった後でもらったVail開発チーム
向けのTシャツで三枚もらって関係者に2枚を差し上げて、最後の一枚を
この日のために絶対に着て登壇するんだと最初から決めていました。
なので、いただいてから二年半近くかけて初めてそでを通しました。
つくづく製品ラウンチへの道のりが長かったと実感したときでした。
その後:
ほどなくして、最初にあったのが(前の年から治療してたけど)自分が
お箸を持てないほど握力を なくしてしまって、しかもラウンチ後の打ち
上げパーティーの時に出てしまって 正直ヤバイと思ってしまいました。
(一切しゃべってなかったので多分その時不思議に思われたと思う)
で、結局、この年の秋に頸椎の手術をすることに。
製品についても、ほどなくしてコンシューマー向けのサーバーは
打ち切りすると。次の製品についても議論はしていたけど、結局
SBSに近づくのかなと思いきや、エッセンシャル機能は統合される
ことが分かったこと。正直Betaテストをしてたけど、あんまり楽しく
なくて(と、いうか燃え尽きちゃった感が大きい)。
WHS2011のDSP版も値段が一気に下がってしまい、クライアント
OS以下の値段で販売されたことにも、うれしいと思いつつも悲しい
かなぁと思ってみたり。
手術したときに言われたけど、やはり後遺症が残っていて昔みたいに
勢いでブログを書くのもしんどくなってしまったのと、自分の中で
PC以外にも趣味を持たないといけないなーと思った時期になって、
結果的にServer製品の検証とかおろそかになってしまったので、
5年目のMVP取ったあたりから、MVPは無理かなーっと思いました。
で、一般の人になったけど….今後のことについて。
WHS2011の後継はどうすればいいの?:
これ、多分自分に課せられたテーマだと思うけど正直結論でてない。
現時点ではこのような認識かなと思ってます
[スモールビジネ]
お金が許せれば、WS2012R2Eが一番無難な気がしますが、ドメイン
管理をきっちり最初に設計することが前提。
[SOHO]
お金が許せれば、WSS2012R2Eをおすすめしたいけど、日本では一社
しか販売されてないので逆に悩むかも。
(本当はDSP版だしてくれると根本的解決でいいんだけど、
多分無理でしょうね。WSSの文化的に)
[家庭]
いま、多分ここが一番悩ましくて、SOHOと同じ認識でいる。
だけど、そんな高価なのは買えないので、現実論からいうとLinux系
の家庭向けNASが無難な気がしてます。去年の秋口くらいに某NASイ
ベントの時に"Synology diskstation DS215J"を抽選でいただいたん
だけどWHS2011の頃より作りこみが良くなったなーと正直に思いました。
ただ、データーの転送速度が思ったより遅いのが少々不満かと…
多分、今トレンドのNASでも昔より簡単になったと思います。
(本音をいうと、セレロン搭載以上のNASをおすすめしたいけど、お値段がねぇ。)
あとはクラウドサービスを組み合わせるのが無難な気がします。
サポートについて:
あくまでも個人的な意見として書いておきます。
(だって公式は今日が最後ですし)
初めにOS側についてはまだサポートなので4年くらいはパッチが降ってくると
思います。背景としてアプライアンスサーバーのサポートというのがあり、
それはもっと長い認識でいるから。WHSの時もOSのパッチはあった模様ですし。
エッセンシャル機能についてもVail以外ではまだ製品が継続しているので、
可能性としては0ではないと思います、DDNSについても同じ考えかな?
ただし、あくまでも動作保証外になるのでその辺は自己責任になります。
今自分はどうしてる?
結論からいうとクラウドサービスとNASを併用して使用してます。ビジネス向け
Office365のE3を使用していてOneDriveに主要なファイルを転送しています。
当然大きなファイルはローカルのNASにおいている認識。
で、あきらめたことはベアメタルバックアップになりますが、もともと
データの使用量が大幅には使用しなくなったので、そこは妥協になります。
(本音はベアメタルバックアップしたいんですけどね…)
最後に…心残りなこと:
自分的に頑張ったと思うけど一点心残りもあってあえて書いておきます。
実は前述したWHS2011の低価格化の時のときにある使い方をすることを
知った時にかなり悲しい気持ちになりました。
某所の不適切な記事が発端でダメだししたことでもあるんですが、
あるボードを使ってごにょごにょしてサーバーとクライアントを
つなげて快適な生活(?)をする。そのためのサーバー機のOSと
してWHS2011を使用していたこと。
最初に実装されて2か月後の次のBetaで没になった機能はまさしくそれでした。
当時のダッシュボードはまさしく初代WHSのUIでしたが、その一番右
に丸い緑色のアイコン(それはまさしく10で廃止になったあれ)
無論、予約も、録画も、再生も、リモート操作ももすべて出来ました。
今ある録画サーバーの機能を先走っていたと思います。
当時WebGuide4を押してたのもコレが製品化してほしかったから…
組織変更になって最初に削除されたのもこの機能だったんですが、
この機能が製品版に実装されていればなぁ…と今でも思っています。
多分日本好みの仕様だとおもうんですが、大人の事情的に無理
(というかいらない機能)だったんでしょうね。その当時の状況的に。
日本のダメ政策もあるから実際には難しいだとは思ったけど。
その点を踏まえてもGMさんの異動はとても影響が大きかったと…
異動した製品もやっと市民権をえつつありますがどうなんでしょう?
(自分も使ってて楽しいことは楽しいですが…)
最後になりましたが… 当時いろいろとWHS-MVPの皆さんや調布の
開発チームの皆さん。マーケットを担当していた皆さんに大変お世話に
なりました。いろいろと巻き込んでしまった感もありますが。
駄文におつきあいくださいましてありがとうございました。
今日はこんなところで….